FUJIYAMAはなぜポケットビリヤードの最高峰なのか?

1 月 18th, 2009 | By tora | Category: FUJIYAMAコラム

FUJIYAMAはポケットビリヤードの数多くの競技の中で、世界最高峰の競技だと言われている。

この最高峰とはどういう意味なのか?
あるプレイヤーはこう言った。

「心・技・体・知・運のおよそビリヤードに必要な総ての要素を合わせた総合力として、最強を証明するのに最も相応しい競技である。」

果たして本当にそうであろうか?
ローテーションは?
14-1は?
ワンポケットは?
どれも非常に高い技術を要求される競技である。
エイトボールは高い知性を要求されるし、
ナインボールでもパワーや集中力など多くの要素が求められる。
結局、どの競技であれポケットビリヤードの大会で優勝するには高い総合力が必要なことは同じである。
なぜFUJIYAMAが最高峰と呼ばれるのだろうか?

これを説明するには、FUJIYAMAによって初めて明確になった「ディフェンス」という新しい概念を理解する必要がある。

「セーフティ」と「ディフェンス」は定義が違う。

「セーフティ」とは、
主に手球と的球の位置関係をコントロールする行為である。
敵が的球に当てることやポケットすることを防ぐのを目的として、
手球と的球の間に、もうひとつ当ててはいけない球を挟むようにコントロールして隠すという行為や、
敵のシュート確率や取りきり確率が低くなるように、難しい位置関係に残すという行為をセーフティと呼ぶ。

これに対して「ディフェンス」とは、
主に敵の的球とゴールポケットの位置関係をコントロールする行為である。
敵が的球をゴールポケットへゴールすることを防ぐのを目的として、
敵の的球とゴールポケットの間に、自分の的球を割り込むように配置してシュートラインを塞ぐという行為や、
自分のエリアに攻めてきた敵の的球を、自分の的球やパスボールや手球を使って、ゴールポケットから遠ざけるように当てることで、敵の的球をゴールが難しい位置関係にまで戻すという行為をディフェンスと呼ぶ。

このディフェンスという概念は、当てるべき球が敵味方で分かれており、それに加えて入れるべきポケットが決まっている場合にのみ発生する概念である。

例えば当てるべき球が敵味方で分かれているエイトボールでは、6つのポケットどれでも入れることが出来るので、ディフェンスという概念は生まれない。
また、逆にワンポケットではゴールポケットは決まっているが、的球が敵味方で分かれていないので、同じくディフェンスという概念は生まれないのである。
エイトボールとワンポケットのルールを混ぜるとディフェンスの概念が発生する。

つまり、エイトボールとワンポケットのルールを混ぜてディフェンスという概念を誕生させ、プレイヤーが地味なセーフティではなく、派手なスーパーショットでラリーしなければ勝てないように設定されたのがFUJIYAMAというルールである。

ここまでディフェンスの説明だったが、ここからが本題である。
このディフェンスという概念はビリヤードを革命的に変える要素があった。

ビリヤードは今まで基本的に、プレイヤー対テーブルの戦いであった。
自分のターンが来れば、目の前にあるのは入れるべき球とテーブルだけだった。
敵に一回も出番を回さないことだってできた。
敵は、相手がミスすることと、セーフティして回すことをひたすら待つだけだった。

しかし、ここに敵ディフェンスの的球が現れたのだ。
ディフェンスが上手いプレイヤー相手では、まともに攻め込むこともできない。
全てを塞がれ、はじき返される。そして一方的に攻められる。
FUJIYAMAでは相手に得点されるのは、多くの場合、相手が上手いのではない。自分のディフェンスが甘いということなのだ。

敵の得点に対して、自分のディフェンスに責任があるFUJIYAMAにおいて初めて、明確にプレイヤー対プレイヤーの競技になったのだ。

今までのプレイヤー対テーブルの競技を例えるなら、
交互に打つゴルフのマッチプレーのようなものだ。
相手が誰であろうと、ゴルフボールをカップに入れるまでの難しさは変わらないのと同じように、テーブル上の難しさも変わらない。
しかし、FUJIYAMAは違う。
ボクシングのような血を流しながら相手の息の根を止める打ち合いだ。
相手が強ければ敵にパンチを当てることすら難しくなると同じように、テーブル上に鉄壁のディフェンスを作ってくる。

さらに比較をするなら、
ナインボールなどの短い勝負であれば、勢いで素人がプロに勝つこともあり得た。
極論すれば、ナインボール1セットマッチでブレイクエースを出せば、世界チャンピオン相手でも勝つことができる。
しかし、必ずターンが回ってくるFUJIYAMAにはそれがあり得ない。
勢いで攻めようにも、相手のディフェンスがそれを自由にさせてくれないからである。
FUJIYAMAで負けたからには、その時点で相手の総合力が上回っていたと認めざるを得ない。

ナインボールの7セット先取りにおいて、0-7の完封で負けたとしても、相手がずっと外さなかったのであれば、自分の責任ではない。自分が劣っているということにもならないし、仕方なかったと納得もできる。
しかし、FUJIYAMAにおいて、SAMURAI(完封試合)で負けたとすれば、一度も相手のセーフティやディフェンスを破れなかったということだ。明らかに自分の責任である。
自分が劣っている部分を証明されてしまうし、必ず明確に敗因が思い当って非常に悔しい思いをする。

この「自分の責任」という部分が、FUJIYAMAと他の競技を分けるもっとも大きな違いなのだろう。
他の競技では、自分のミスに責任はあるが、相手がポケットすることに自分の責任はない。
FUJIYAMAでは、相手がゴールすることまで自分のディフェンスの甘さの責任である。敗北も勝利もすべてに自分の責任がある。
(唯一、SHOGUN、パーフェクトゲームだけが自分の責任がないといえるが、現在まで一度も出たことがない)

以上の通り、FUJIYAMAとは、
最上級に難しく、明確に自分の責任を追及され、どのような勝利の時も敗北の時も厳しく実力として評価される試練の競技である。

FUJIYAMAがポケットビリヤードの最高峰と呼ばれる理由は大まかに以上のとおりである。

FUJIYAMAが最高峰と呼ばれるのにふさわしいかどうか、
それは今後皆さんがFUJIYAMAの試合を観て、または参加してからの判断にお任せすることとしよう。

文責:Project Fujiyama 実行委員会

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