FUJIYAMAの歴史

FUJIYAMAのはじまり

1998年の頃だった。日本ではサッカーで初のワールドカップ出場を果たしたフランスW杯に熱狂し、
当時流行り始めていたビリヤード場ですら客足はまばらになっていた。
このゲームを発案した青年、大瀧雅之はそのビリヤード場にいた。
W杯の熱狂の中、彼は考えていた。サッカーの様な高い戦略性・戦術性に基づく息詰まる攻防を、
ビリヤードにおいて再現できないものかと。そして彼は試行錯誤の末にルールをまとめ、
友人と世界で初めてのゲームをプレイした。これが全ての始まりだと伝えられている。

その後、面白さからプレイヤーは一人また一人と増え、更なる高度なゲーム性が追求されていった。
勝つための様々な戦略が開発されていく中でルールは洗練され、ほぼ今の原型が出来上がった。
そしてここにビリヤードの歴史に初めてフォーメーションや戦略が生まれる事となった。
この当時からすでに、このゲームのプレイヤーの間には、ある確信に近い予感があったという。
それはこのゲームが近い将来、新時代のポケットビリヤードの主流になるだろうというものだった。
日本で生まれたこのゲームは、いつしかプレイヤーの間で「FUJIYAMA」と呼ばれるようになり、
世界で初めて「FUJIYAMA」がプレイされた、東京は高田馬場にある山水ビリヤード支店の
5番テーブルは、「FUJIYAMAプレイヤー」にとっての聖地とされている。

(FUJIYAMA公式ルールブックより転載)

FUJIYAMAの歴史

1998年 FUJIYAMAのルールが発案される

1999年 FUJIYAMA評議会が発足する

2004年 ルールの完成度が高まったことを理由にルール発案者より大会開催が提案される。

2005年 THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2005 開催

(山水ビリヤード支店において初めて公式な大会が行われた。エントリー数32名。優勝 塚本忍 氏。アマチュア主体だったが、参加者はFUJIYAMA愛好者が多く、当時からすでに競技レベルが高かった。決勝は塚本忍氏とルディ・モルタ氏で争われた。アマチュアの試合ながら手に汗握る展開で観客は盛り上がり、プロの試合を観たいという活動が始まった。)

2006年 ProjectFUJIYAMA実行委員会が発足する

2007年  1月 ProjectFUJIYAMA「弐箇年計画」が立案される。

(この弐箇年計画は、FUJIYAMAの商業化の可能性を検証することを主目的として、2007年2008年の2年間の行動計画としてまとめられたものである。)

2007年  6月 FUJIYAMA公式ルールブック(第六訂版)が初めて小冊子として配布される

(ルールブックは1998年から何度も検証と訂正が繰り返され、第六訂版の時に初めて小冊子として配布が始まった。)

2007年  8月 THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2007 開催

(山水ビリヤード本店において初めてプロが参加して開催された。エントリー数38名。(内、プロプレイヤー数10名)優勝 西嶋大策プロ。エンターテイメント化を目指し、観客が楽しむための実験がいくつも行われた。観て楽しむために作られたビリヤード競技は、この時初めて世界に発表された。)

2008年  3月 THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2008 開催

(初めて聖地である高田馬場・山水ビリヤードから離れて、新宿・ビリヤードハウス・サムタイムにおいて開催された。エントリー数38名。(内、プロプレイヤー数10名) 優勝 関川賢示プロ。プロが戦うFUJIYAMAは観戦する価値があると、期待が確信に変わった大会だった。これによって、正式に商業化への道のりが検討されることとなった。)

2009年  1月 ProjectFUJIYAMA「参箇年計画」が立案される。

(この参箇年計画は、FUJIYAMAの商業化のための下地を整えることを主目的として、2011年度のProjectFUJIYAMA実行委員会の収支を黒字化することと共に、THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2011の優勝賞金を100万円とすることを目標と設定し、

2009年2010年2011年の3年間の行動計画としてまとめられたものである。)

2009年  3月 THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2009 開催予定

ウィキペディア「FUJIYAMA (ビリヤードの種目)」2009年3月8日 (日) 14:02 (UTC) のpredator bk 2による投稿は、このWebページの作成者によるものです。